毎日ふ菓子を食べます。

・「がんばれ」とか「がんばる」ということばは、
 いつごろからか、けっこう使いづらくなってきています。

 すでにがんばっているのだから、
 「がんばれ」と言われるのは心外です‥‥とか、
 「がんばれ」と言われると萎縮して
 精神的にダメージを受ける人もいるんです‥‥とか、
 「がんばれ」と気軽に言える人は、
 なんか他人事みたいで無責任な気がします‥‥とか、
 たしかに、そういうことも言えるかもしれないのですが、
 ぼくには「がんばれ」が無くなっちゃってもいい
 とは思えないんですよね。    ここでは「がんばれ」でしょう、
 という場面はいくらでもありそうです。
 そして、ぼく個人は「がんばれ」と言われても、
 だいたいはうれしい気持ちになると思うんです。
 軽く言われるのも、他人事として言われるのもいいです。
 日常で交わされることばのほとんどは、
 軽くて意味の薄い肩をぽんっと叩くようなもんですから。    「がんばれ」よりも、もっと好かれてないのは
 「がんばりたいです」ということばですね。
 しっかりと「がんばります」でいいじゃないかよ、と。
 はじまる前からうまく言い訳をしているようだ、と。
 たいそう評判のわるいセリフなのですが、
 これについても、ぼくは
 「しょうがないじゃないか!」と思ってます。

 がんばる場面があったらがんばりますよ、誰だって。
 だけど、「がんばろう」という状況がない場合は、
 がんばりようがないじゃないですか。
 例えば、職がないとか、仕事が入ってこないとかね。
 「がんばる」場があちこちにあるのが、
 ひょっとしたらいい社会なのかもしれないです。
 被災地に雇用をつくるとかっていう問題や、
 復興計画をどうするかっていうことなんかも、
 「がんばりたい」人たちの場をつくるってことでしょう。
 そしたら「がんばれ」るもの‥‥。
 ぼくら、そのために、なんとか「がんばりたいです」。

・とても根本的な、食べものの好き嫌いでさえも  こうなんだから、他のことはもっとでしょう。  好きだ嫌いだ、仲間だ敵だ、いい人だわるい人だ、  どこかでくるっとひっくり返る可能性だってある。  そう言うと怒られるかもしれないけど、  「信じすぎない」でていねいにつきあうって姿勢が、  大事なんじゃないかと、ぼくなんかは思うんですよね。  「信じることを決めた」という場所から  びくとも動かないっていう頑なな姿勢は、  あんまりいいことないんじゃないかなー。  じぶんって、柔らかくとらえたいものだよね。
優位にあることを仕事にして、劣位にあることは避ける。 これは、現代のビジネスの原則でもありますが、 それを徹底していくと「つまらなくなる」んじゃないか? だから、「じぶんにしかできない強み」と、 「誰でもできるようなこと」をミックスされるほうが、 これからの仕事のやり方になるんじゃないか?
人が理屈や知識で
これが正しいとか間違ってるとか言う前に、
変わらない何か不確かで素敵なもの、
不確かなんだけれども
信じてるものがあるってことを
わかっているだけでも、
だいぶ報道は変わりますよね。
例えば人が何かを選ぶときって、
自分の意志で選んでるようだけれども、
実は自分の意志以外の大きなイメージから
選んでることがとっても多いですよね。
自分のストーリーで語ると、
それがごく一部にすぎないとしても、
全体像を反映することになるんですよね。
 おそらくすべての「いい人」は、ふつうなんです。
 逆に言えば、すべての「ふつうの人」は
 「いい人」になる可能性を持っています。
・すっごく「いい人」だとか、伝説的な「いい人」とかは、
 いないと思ったほうがいい。
 それはすべての人の「期待」のなかにいるものです。
 たいていは、「いい人」って「ふつうの人」だと思う。
 「すっごく」とか「伝説」とかの部分に、
 目をやりすぎちゃいけないんです。
 ぼくには、尊敬している人、大好きな人はいますが、  その人たちは、おそらく「いい人」ではないと思います。  そういうふうに見えていても、ちがうでしょう。  でも、ぼくの、好きな気持ちは変わりません。  「いいなぁ」と思わせたり惹きつけたりするのは、  人格だけのゆえではないですからね。
この「動機」「実行」「集合」の3つの環を
物差しみたいに
当てはめて考えてみるんです、みんなで。
「ラストワンマイル」が
つながるかどうかで、
「0」と「1」くらい、違ってくると思うんです。
毎日、やすみなく毎日、いやいやでも毎日、 ずっと毎日続けて10年経ったら、 一丁前に食っていけるようになっている。
「本当に困ってる人は、笑うんです。
 なまじ遠くにいたら
 笑えないのかもしれないけど
 笑ってると、復興が進むんですよ」
リツイートって
「可能性を生む、つなぐ、ひろげる」。
「行動の伴わない
 サイレントな善意というのは、
 被災者にとって
 実質的には何もないのといっしょだ」